2005年09月03日

軍艦島をめぐる記事

長崎新聞 2001年11月27日(火)の記事より抜粋
高島町が軍艦島無償譲り受け 新たな観光振興へ
 高島町の三菱石炭鉱業高島砿業所の閉山から27日で丸50年。唯一の基幹産業を失い、苦難の道を歩んだ同町だが、「石炭を魚にかえて島おこし」をスローガンにした振興策が軌道に乗り、夏には多くの人が訪れる「観光の島」に変貌。町の南約5キロに浮かぶ端島(軍艦島)を三菱側から無償で譲り受け、新たな観光振興策の検討も始めた。閉山当時約5500人だった町の人口は26日現在、947人。平均年齢の55.4歳と65歳以上の高齢者比率42.1%は、いずれも県内最高だ。島内の炭鉱住宅は、全60棟のうち57棟が1996年度までに解体された。海面下で採炭する鉱員が入・昇坑した立て坑も更地になり、炭鉱の歴史を物語る建物はほとんど姿を消した。同町は高島砿の閉山後、三菱側が「町が必要なときいつでも無償で譲渡する」との協定に基づき、これまで三菱側から土地の譲渡を受けてきた。その結果、閉山時、町全体の60%を占めていた三菱所有地は現在、山間部の数百平方メートルを残すだけ。譲渡を受けた土地に'97年、飛島磯釣り公園や人工海水浴場などを整備した。同町は、三菱所有地として“最後”に残った端島の譲渡を今夏、三菱マテリアルに要請、10月中旬無償譲渡で合意した。豊田町長は「交流人口の増加を目指した整備に道筋がつき、端島を含めた町の観光施策の将来を見据えて取得した。建築学的に貴重との声もあり、世界遺産への登録申請も考えている」と話している。端島は、日本初の高層鉄筋アパートなど近代建築史上貴重な遺構として、さらに戦時中の中国・朝鮮人の強制連行の歴史を刻む島として保存を求める声がある。建物が老朽化し危険なため、一般の立ち入りを禁止しているが、無断上陸が後を絶たない。高島町は今後も上陸は基本的に禁止し、近く上陸について規定を設ける方針。

長崎新聞 2002年10月8日(火)の記事より抜粋
保存すれば観光資源に スミス博士らが高島の砿業所跡を視察
 産業の象徴として稼働し、時代の流れとともに老朽化した炭鉱や鉱山などを「産業遺産」として後世に残す活動を続けている英国のスチュワート・スミス博士と都市問題研究家の加藤康子氏が来崎し7日、砿業所跡が残る高島町を視察した。
 加藤さんは世界各地を回り「産業遺産」という本を出した研究家。スミス博士は英国の産業革命発祥の地といわれるアイアンブリッジの博物館を、廃虚から世界遺産に登録されるまでに再建した産業遺産の専門家。同町では、船上から「軍艦島」と呼ばれる端島や日本初の立て坑「北渓井坑跡」、グラバー別邸跡などを見学。スミス博士は中でも端島に衝撃を受けた様子で「島にある建物の設計から調べ、きちんと保存すれば素晴らしい観光資源になる」と提案した。視察後は住民と意見交換し、産業遺産の重要性などについて講演した。8日は長崎市の三菱重工長崎造船所の史料館などを訪問する。

長崎新聞 2002年12月1日(日)の記事より抜粋
軍艦島を世界遺産に―元島民らが保存運動
 長崎港口に浮かぶ高島町端島、通称軍艦島。1974年の炭鉱閉山後、炭鉱マンとその家族らでにぎわたアパートなどの建物は、時の経過とともに風化が進み、廃虚の島となっている。元島民たちが世界遺産への登録という大きな夢を描き、朽ちていく古里をなんとか残そうと保存のための運動を始めた。端島で育った長与町、パソコン塾経営、坂本道徳さん(48)ら約10人が10月、「軍艦島を世界遺産にする会」の準備会を発足。きょう1日から軍艦島写真展を同町で開き、本格的な保存か集うの第一歩を踏み出す。
 坂本さんは「島には戦時中の強制連行の歴史もある。島を保存し、観光や歴史遺産として役立てたい」と語る。
 写真展は西彼長与町嬉里郷、下田ビル2階「パソコン寺子屋」で8日まで開催。

長崎新聞 2003年3月1日(土)の記事より抜粋
軍艦島を世界遺産に 市民団体9日に設立
 長崎港口に位置する高島町端島、通称「軍艦島」の世界遺産への登録を目指す市民団体「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳代表)が9日、長崎市大浦町の長崎ビューホテルで設立総会を開き、保存に向けた行政への働き掛けなど活動を本格化する。
 会員は元島民など約20人。ほかに賛同者ら約60人が出席する。設立の趣旨説明や中心メンバーの九州大大学院、森祐行教授の講演があり、今後の活動スケジュールを発表予定。
 軍艦島は、1974年の炭鉱閉山後の無人化で風化が進み廃虚となった。坂本代表は「歴史文化遺産として保存し、観光資源として役立てたい」とインターネットのホームページで保存を訴え、署名活動を展開。各地で写真展を開くなど準備を進め、賛同者は350人を超えている。
 軍艦島で育った坂本代表は「今、保存運動を始めなければ島は朽ち果てていくばかり。まずは観光遺産や産業遺産として保存を勝ち取りたい」と話している。総会では、会のメンバーら4人が昭和初期から現在までの端島を記録した写真集「軍艦島」(A4判・2500円)の新刊披露もある。当日参加もでき、賛同者を募っている。

長崎新聞 2003年3月8日(土)の記事より抜粋
「軍艦島」をライトアップ 高島町が構想
 高島町の豊田町長は7日、同町端島、通称「軍艦島」が産業遺産として全国的に注目を集めていることなどから、観光振興策の一環として、護岸などに電灯を配置し、ライトアップする構想があることを明らかにした。
 同日開会した同町議会の3月定例会で、端島の保存と活用法についての質問に答えた。構想では、太陽光発電で電源を確保。島の周囲に配置したライトで効果的に光を当て、旧日本軍の戦艦「土佐」に似ているという端島の形を浮かび上がらせる。既に民間の企業に試算を要請しているという。
 施設の規模は未定で、予算規模は1億―3億円と流動的。今後1年間の検討期間を経て、2004年度の実現を目指す。豊田町長は「観光スポットとして来島者が増えることを期待している。町民の理解を得て、地方債の起債などで財源を確保したい」としている。

長崎新聞 2003年3月11日(火)の記事より抜粋
軍艦島を世界遺産にする会 長崎で設立総会
 長崎港口に位置する高島町端島、通称「軍艦島」の世界遺産への登録を目指す市民団体「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳代表)の設立総会が9日、長崎市内であった。九月ごろをめどに法人格を持つ民間非営利団体(NPO)を目指す。
 元島民ら約80人が出席。坂本代表は「観光活用という前に端島をきちんとした方法で保存することを考える必要がある。コミュニティー、歴史、炭鉱遺構を三本柱に取り組みたい」とあいさつ。


長崎新聞 2003年5月12日(月)の記事より抜粋
「軍艦島」の元住民らが閉山30年記念し集い
 「軍艦島」として知られる高島町端島の元住民らが、炭鉱閉山30年を迎えるのを記念して11日、長崎市筑後町のセントヒル長崎で集いを開いた。かつての同僚や友人らは久しぶりの再会に、肩を抱き合い喜び合った。江戸時代に石炭が発見された端島は1890年、三菱合資会社が操業。その後、三菱高島炭砿が経営を引き継いだ。最盛期には5000人が住み、高層鉄筋アパートが並び「軍艦島」とも呼ばれた。しかし1974年に閉山した。集いは、炭鉱の元従業員や住民らが閉山時に結成した親ぼく組織、全国端島会(千住会長)が主催。全国から210人が参加し、旧交を温めた。世話人の1人、多田智博さんは「30年ぶりに顔を合わせた人たちもいて、島での思い出やその後の話などで盛り上がった」と話す。集いは5年ごとに開かれているが年々高齢化が進行、全国的な集まりが難しくなってきたため、今回が最後になる予定という。

長崎新聞 2003年7月2日(水)の記事より抜粋
軍艦島メーンに周遊観光ルート構築を
 県は30日、世界遺産登録の機運が高まっている高島町の端島、通称「軍艦島」と長崎市、西彼野母崎町を結ぶ周遊観光ルートの構築を、九州運輸局長崎運輸支局などと検討していることを明らかにした。県議会本会議で、橋本希俊議員(改革21)の一般質問に篠部武嗣地域振興部理事が答えた。九州運輸局長崎運輸支局によると、最近増えている小グループの観光客に水陸の公共交通機関の利用を促すのが狙い。長崎港から船で軍艦島を巡り野母崎町に上陸。県亜熱帯植物園など観光地をバスやタクシーで回る周遊ルートの構築を目指す。
 同支局、県、地元自治体、観光団体、交通事業者らで七月中にも委員会を設置。本年度中に報告書をまとめ、交通事業者や観光業者に新ルートとして提案する。篠部理事は「1つの観光資源だけでは旅行商品として売り込むのは難しく、観光ルートとして広域化する必要がある。新たな海のルート開発に努めたい」と述べた。軍艦島は1974年の炭鉱閉山後、無人化で風化が進み廃虚となったが、「観光や歴史遺産として役立てたい」と、元島民らでつくる市民団体「軍艦島を世界遺産にする会」が今年3月に発足している。

長崎新聞 2003年7月8日(火)の記事より抜粋
ナガサキピースミュージアムで軍艦島展
 長崎港口に位置する西彼高島町端島、通称「軍艦島」を紹介する「失われた時を求めて〜閉山から30年・軍艦島展」が、長崎市松が枝町のナガサキピースミュージアムで開かれている。ミュージアムが、市民団体「軍艦島を世界遺産にする会」と社団法人日本ユネスコ協会連盟の協力で開催。2000年、県展で野口弥太郎賞を受賞した県立佐世保東翔高美術講師、浦田大樹さんの油絵「沈黙の島」をはじめ、炭鉱閉山前の島民の生活などを撮影した写真約80点を展示。端島生まれの村上由希子さん(熊本県在住)が描いた絵本「軍艦島グラフィティー」(不知火書房出版)の原画のほか、当時の端島労働組合が自主製作したビデオも上映。島の子どもたちの遊ぶ様子など貴重な映像も残されている。

長崎新聞 2003年8月31日(日)の記事より抜粋
軍艦島の保存と活用でフォーラム
 長崎港口に浮かぶ端島(通称・軍艦島)=西彼高島町=の世界遺産登録を目指す民間非営利団体(NPO)法人の「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳代表)は30日、西彼野母崎町の町民センターで「軍艦島フォーラム」を開いた。建築など専門家らが、軍艦島の保存と活用意義について意見を交わした。フォーラムには、元島民や軍艦島に関心を寄せる人など約100人が参加。坂本代表が「軍艦島は日本の近代史をつくり上げてきた産業遺産。そのことを語り継いでいかなければならない」とあいさつし、会員らが島の歴史や世界遺産登録に向けた動きなどを紹介した。パネル討論には、森祐行九大名誉教授や後藤恵之輔長崎大大学院教授、NPO法人「大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブ」の永吉守代表など各分野の専門家ら8人がパネリストとして参加した。

長崎新聞 2003年9月11日(木)の記事より抜粋
長崎−軍艦島−野母崎航路 今月中に就航予定
 九州運輸局は10日、高島町の端島(通称・軍艦島)と長崎市、西彼野母崎町を結ぶ航路について、長崎市のやまさ海運が申請していた一般旅客事業を、同日付で許可した。今月中に就航予定。端島は世界遺産登録に向けた機運が高まっており、九州運輸局長崎運輸支局は「周遊観光ルートの実現に向けた大きな一歩。観光客に新たな長崎の魅力を発信できる」としている。
 このルートは、同支局や県、観光団体などが公共交通機関を使った周遊コース開発を協議する「ぶらりながさき小旅行事業検討委員会」で協議されている航路。検討委では、長崎港から船で端島を巡って野母崎町に上陸し、県亜熱帯植物園などの観光地をバスやタクシーで回る周遊コースの構築を目指している。やまさ海運は、旅客定員97人の「マルベージャ」(19t)で長崎港から端島、野母崎漁港までの23.7キロを約1時間10分で運航する。午前、午後各一往復を計画している。

長崎新聞 2003年9月19日(金)の記事より抜粋
長崎市と西彼6町が体験学習の新パンフ発行
 長崎市と西彼香焼、伊王島、高島、野母崎、三和、外海の6町などが、平和や造船、炭鉱など地域ならではの体験学習プログラムを紹介したパンフレット「長崎地域体験学習」(A4判、14ページ)を発行。2005年1月に予定している市町村合併を見据え、修学旅行客の誘致に広域的な視点で取り組んでいく。長崎への修学旅行客が年々減少する中、総合学習の導入などで修学旅行の目的の大きな柱になっている体験学習のメニューを充実。長崎らしいプログラムを盛り込むことにより独自性を打ち出し、観光客減に歯止めをかけたい考え。
 体験メニューは計72。長崎市では新たな体験学習の開発で昨年度までの25を大幅に増やし、46のプログラムを用意した。主なメニューとして、炭鉱の歴史を学ぶ端島、池島ツアー、長崎の主要産業・造船を学ぶ三菱重工長崎造船所見学、長崎ペンギン水族館での環境学習などがある。現在、民間企業などの協力を得ながらインストラクターの養成に取り組んでいるほか、パンフレットを利用した全国の旅行会社・学校でのPR活動も予定している。市観光宣伝課は「本格的な実施は2005年度。地域性を生かした魅力ある体験メニューの設定と早めの情報提供により、修学旅行客の誘致に結びつけていきたい」と話している。

長崎新聞 2003年10月2日(木)の記事より抜粋
世界遺産委員会・独代表が軍艦島を視察
 北海道で先月末開かれた「国際鉱山ヒストリー会議」出席のため来日したドイツ人で世界遺産委員会の同国代表を務めるバジッタ・リングベックさんが1日、高島町の端島(軍艦島)を視察し、「国連教育科学文化機関(ユネスコ)の会議で軍艦島が近代化遺産として価値があることを報告したい」と語った。リングベックさんは法人格を持つ民間非営利団体(NPO)の「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳代表)の案内で軍艦島などを視察。同日夜、長崎市内で懇話会を開き、「軍艦島は世界に一つしかないユニークな場所。その環境に大変感銘を受けた」と感想を述べた。また、2001年に世界遺産に認定されたドイツのツォルフェライン炭鉱跡の認定にいたるまでの経緯を紹介。「軍艦島を中心に、長崎や九州の町を日本の近代化にとって重要な地域として、ぜひ世界遺産に申請してほしい」と話した。

長崎新聞 2003年10月25日(土)の記事より抜粋
JTBが軍艦島視察 修学旅行のコースの中に
 修学旅行を中心に取り扱っている東京の旅行代理店の担当者が24日、西彼高島町の端島(通称・軍艦島)を視察した。1974年に炭鉱が閉山し、現在は無人の島としてかつての姿をとどめる軍艦島を、将来的に修学旅行のコースの中に取り込むことが狙い。
 視察したのはJTB教育旅行東京西支店の習田さん(27)。長崎市に依頼し実現した。現在、島への立ち入りは禁止されていることから、市は同町の運輸会社の船をチャーターし、島を一周した。習田さんは、炭鉱の島として栄えたころのアパートや学校跡などを写真に撮るなど、熱心に見入っていた。習田さんは「軍艦島は日本のエネルギーの歴史を知る上で重要な島。事前と事後学習がしやすく、十分にコースになり得る」と評価し、「船からの見学になるので、島の説明ができる人と安全面を確保することが課題」と語った。

長崎新聞 2003年11月6日(木)の記事より抜粋
軍艦島を近くで見るクルーズツアーの参加者募集
 法人格を持つ民間非営利団体(NPO)「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳代表)は24日、地元長崎の人を対象にした「軍艦島・急接近ツアー」を開催する。産業遺産として注目されている西彼高島町端島(軍艦島)の歴史や現状を市民に知ってもらおうと、長崎市や同町、県観光連盟などと協力して周遊ツアーを企画した。当日はチャーター船で軍艦島を海上から見学。元居住者や郷土史家をガイドに、かつて炭鉱の島として栄えた軍艦島の魅力に迫る。
 帰港後は、「ホテルシップ・ヴィクトリア」(長崎市)として利用されている旧青函連絡船「大雪丸」を見学する。対象は小学生以上。参加費は3千円(高校生以下2千円、昼食付き)。定員50人。

長崎新聞 2003年11月25日(火)の記事より抜粋
軍艦島・急接近ツアー 世界遺産にする会が実施
 民間非営利団体(NPO)「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳理事長)は24日、遊覧船を使って「軍艦島・急接近ツアー」を実施した。
 かつて炭鉱で栄えた西彼高島町端島(軍艦島)の産業遺産としての魅力を感じてもらおうと開催。定員50人に対し、140人近くの応募があり、全員が参加した。軍艦島は、明治時代から炭鉱の開発が始まり、最盛期には約0.063平方キロの島に5千人を超す人々が生活。高層アパートが林立し、島の姿が戦艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」の名が付いた。
 1974年の炭鉱閉山後、基幹産業がなくなった島は、三カ月ほどで無人島になった。2001年に三菱マテリアルから高島町に無償譲渡された。廃屋などの倒壊の恐れがあり現在、立ち入りを禁止している。
 小学六年から高校3年まで端島に住んでいたという坂本理事長(49)は「まずは軍艦島を知ってもらうことが重要。関心を持ってもらうことで、新たな観光資源として活用できるようにしたい」。参加者は、軍艦島の姿を写真に収めたり、感慨深そうに眺めるなどしていた。

長崎新聞 2004年2月20日(金)の記事より抜粋
最盛期の「軍艦島」紹介 高島町教委が端島の写真集
 西彼高島町の端島(軍艦島)炭鉱の閉山30周年を記念し、同町教委はこのほど、人々が暮らしていた当時を記録した写真集「端島(軍艦島)」を発刊した。端島はかつて炭鉱の島として栄え、その独特の形状から軍艦島とも呼ばれた。最盛期には約5千人が暮らしていたが1974年に閉山し、現在は無人島。町は来年一月に予定されている長崎市との合併を前に、端島の記録を残そうと昨年、写真集の編集を企てた。
 掲載写真は、元島民が所蔵していたものなど約500枚。昭和30―40年代の最盛期の生き生きとした人々の暮らしを中心に紹介している。49年に全国公開された映画「緑なき島」の撮影風景など、貴重な写真も数多い。中峯剛治町教育長は「現在もなお全国的に注目される島でもあり、そこで生活していた人々の姿を知ってほしい」と話している。A4判、239ページ。500部発行。一部4千円(町民は半額)で販売。

長崎新聞 2004年3月25日(木)の記事より抜粋
7月から旅客船就航 長崎港−端島−野母崎
「長崎・野母崎」、「佐世保・平戸」、「雲仙・島原」の3地域の観光周遊ルート構築を目指し、九州運輸局長崎運輸支局などが設置した「ぶらりながさき小旅行」検討委員会(座長・岡田裕同支局長)の本年度最終会合が24日、長崎市内であり、1年間の取り組みの成果が報告された。
 検討委は、三地域ごとに地元自治体や交通事業者、観光関係者などでつくる作業部会を設置、1年にわたり検討を続けてきた。その結果、長崎・野母崎では、長崎港・大波止から西彼高島町端島を巡って野母崎町に至る海上ルートに、7月から旅客船が就航することが決定した。

長崎新聞 2004年5月4日(火)の記事より抜粋
卒業制作の軍艦島模型を寄贈
軍艦島には人生がある。未来へ残したい―。九州大学大学院芸術工学府(旧九州芸工大)1年の森由起子さんが3日、大学の卒業制作で約1年掛かりで作った「軍艦島」の模型2個を、民間非営利団体「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳理事長)に寄贈した。同会(県内外約七十人)は、軍艦島の世界遺産登録を目指し、島の保存活動に取り組んでいる。
 森さんは昨年4月、「近代日本を支えてきた軍艦島の魅力は何か。自分なりに価値を見いだしたい」と制作に着手。何度も島の外観を船から観察し、かつての居住者に取材するなど熱心に調査した上で、12月から3カ月間で完成させた。模型は300分の1と600分の1のサイズの2つで、いずれも建築模型用の紙で制作。現在の島の姿に、島の歴史を学ぶ「学習スペース」や訪れた人々でにぎわう様子など、将来、軍艦島全体をミュージアムとして活用した場合の独自のイメージを詰め込んだ。森さんは「軍艦島は人間の手でつくられ、繁栄し、石炭とともに役目を終えた。島の盛衰は人生と重なり、時代の語り部になると思う。現代の人々が物事を学び、考える場として未来に残していきたい」と話した。
 坂本理事長は「若い人に軍艦島に関心を持ってもらいうれしい。島を保存する上での新しいコンセプトが詰まっている」と模型の出来映えに感心していた。模型は今後、公の場で展示するという。

長崎新聞 2004年5月19日(水)の記事より抜粋
軍艦島の語り部育てる 30日から養成講座スタート
産業遺構として脚光を浴びる西彼高島町沖の端島(通称軍艦島)の歴史を紹介する“語り部”を育てようと、長崎市などでつくる長崎広域体験学習協議会は30日から、「軍艦島クルーズガイド養成講座」をスタートさせる。長崎港―端島沖を周遊し、西彼野母崎町までを結ぶ7月の定期船就航に合わせ、元島民などの生の声で島の姿を語ってもらう。定期船は7月1日から土曜、日曜の1日2往復運航(11月12月運休)。長崎港から野母崎町までを約1時間10分で結び、観光客の利用が期待される。修学旅行生の誘致に力を入れる同協議会は、端島を知る人たちの声でクルーズ案内をしてもらおうと養成講座を企画した。対象は端島の元島民や端島に興味があり、ガイドが可能な長崎市近郊の人。講座は5月30日から7月まで計4回。受講無料。高島町の郷土史に詳しい山崎徳さんや、端島で生活した経験を持つ「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳理事長らが講師を務める。

長崎新聞 2004年5月19日(水)の記事より抜粋
修学旅行生に歴史紹介 軍艦島ガイド養成講座
修学旅行生らを対象に、西彼高島町沖に浮かぶ端島(通称軍艦島)の歴史を紹介する「軍艦島クルーズ」(長崎広域体験学習推進協議会主催)の第1回ガイド養成講座が30日、長崎市出島町の出島史跡案内所2階ヘトル部屋であり、市民ら54人が受講した。
 長崎港―端島沖を周遊し、野母崎町までを結ぶ7月の定期船就航に合わせ、ガイド養成を企画。受講生はクルージング研修など計4回受講し、認定を受ける。開講式では、講師陣の1人で「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳会長が「軍艦島の過去、現在、未来を語れるガイドになって」と激励した。初日の講座は、軍艦島歴史研究家の小島隆行氏と後藤惠之輔・長崎大大学院教授が担当。小島氏は「岩礁だった端島は、埋め立てによる人工島。そこに日本初(1916年)の鉄筋コンクリートアパートも建てられ現存する」と紹介。家賃や光熱費が格段に安かったなど、当時の島民の暮らしぶりも話した。

長崎新聞 2004年6月110日(木)の記事より抜粋
長大教授ら軍艦島研究チームを発足
長崎大工学部など四学部の教授らが9日、通称軍艦島などについて学術的研究を進めるブロジェクトチームを発足させた。
 1974年に閉山し、現在は無人で廃虚になっている軍艦島を長崎の産業・文化遺産と位置付け、観光資源、地域活性化、子どもたちの歴史学習などに活用するための研究を進め、地域貢献につなげるのが目的。同プロジェクトの名称は「軍艦島・高島等長崎港外にある旧産炭地の産業遺産としての学際的地域研究」。工学部社会開発工学科の後藤惠之輔教授が世話人となり、教育、経済、環境科学の各学部の教授や助教授ら12人で構成。産業考古学、地盤、コンクリート、構造、海岸工学、植物、自然地理、地質、住居、気象学、環境法政策などそれぞれの専門の立場から研究する。同日、長崎市文教町の同大文教キャンパスで初会合があり、後藤教授が軍艦島の歴史や現状、民間非営利団体(NPO)「軍艦島を世界遺産にする会」の活動の概要などを説明。今後、現地調査を進めていくことなどを確認した。後藤教授は「軍艦島は、学問的に多くの意味を持ち、『軍艦島学』が成り立つほど。長崎の宝物として生かしたい」などと話した。

長崎新聞 2004年7月3日(土)の記事より抜粋
きょうから軍艦島遊覧船定期便 土日のみ就航
 特徴的な外観から「軍艦島」と呼ばれる西彼高島町の端島を、遊覧船の上から間近に望む「軍艦島クルーズ」に3日から、土、日曜日に限り1日2往復の定期便が就航する。新たに就航するのは長崎港―軍艦島沖―野母崎港(所要時間70分)のコース。長崎港を土、日曜日の午前9時半と午後1時半、野母崎港を午前11時と午後3時に出航する。料金は片道大人(12歳以上)1980円、子ども(6歳以上)990円。10人以上の予約で長崎港―軍艦島沖―長崎港(所要時間100分)の臨時便も出航する。大人3000円、子ども1500百円。両コースとも観光ガイドが同乗。予約、問い合わせはやまさ海運へ。

長崎新聞 2004年7月5日(月)の記事より抜粋
76人に修了証 軍艦島クルーズガイド養成講座
 端島を後世に語り継ぐ人材を育成する「軍艦島クルーズガイド養成講座」の最終回が4日、長崎市出島町の出島史跡案内所であり、受講した76人に修了証が渡された。長崎市などでつくる「長崎広域体験学習協議会」が、5月から実地研修など計4回の講座を開催。県内外から参加した人たちが軍艦島の概要や、当時の島民の生活などを学んだ。県観光連盟の相原勝義国内誘致部長から修了証を受け取った。
 同協議会は今後、受講生の中から希望者を対象に面接などを行い、ガイドを認定。今秋、軍艦島クルーズのガイドとしてデビューさせる予定。

朝日新聞2004年7月29日(水)の記事より抜粋
島の「伝説」に輝く目
高島町であった「みんなで創(つく)ろうサマーキャンプin高島」には、長崎市の小中学生約40人が参加し町内の探検や軍艦島(端島)クルーズを通し、炭鉱があった町の過去と現在を実感しながら、夏を満喫した。
  初日の24日、子どもたちは町を丹念に歩き、見聞きしたことを大きな地図に書き込んだ。日が暮れると、石炭で火をおこしたキャンプファイアー。町の郷土史家、山崎徳(めぐみ)さん(80)が語る高島の伝説に聴き入った。
  25日は長崎市所有の中国船「飛帆(フェイ・ファン)」で軍艦島へ。面積は0・1平方キロ。1890(明治23)年に三菱が買収した海底炭鉱があったが、74年に閉山して無人になった。
 現在はNPO法人・軍艦島を世界遺産にする会の代表、坂本道徳さん(50)が島を前にガイドした。「夕暮れ時、あの屋上はデートの場所だった。僕は学校の隣の建物の9階に住んでいたんだよ」。臨場感いっぱいの話しぶりに、子どもたちは目を輝かせた。
  クーラーとは無縁の2日間。子どもたちは浜で泳ぎ、テントを張った。ナイフで竹筒のコップを作り、薪(まき)の煙にむせながらご飯を炊き、おむすびも握った。日焼けして帰ってきた姿に、主催した長崎青年協会の石田則広会長(39)は「成長の過程を見ることができた」と話した。


毎日新聞 2004年8月15日(日)の記事より抜粋
「クルーズと宿泊」観光の目玉に、稲佐山観光ホテルで軍艦島展 /長崎
高島町端島(通称軍艦島)のパネル写真展が長崎市曙町の稲佐山観光ホテルロビーで開かれている。7月就航の「軍艦島クルーズ」を利用する宿泊客などにより深く島を知ってもらうことが狙い。11月末まで。無料。 NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳・理事長)とホテルが企画。「炭鉱」「建築」「コミュニティ」を柱に歴史と今を紹介する。現存する島の写真で最古という1905(明治38)年ごろの島の遠景や炭鉱閉山前の人々の暮らしなど約70点が並ぶ。空撮写真なども準備中で、100点以上になる予定。 坂本理事長は「クルージングとホテル宿泊を観光の目玉にしたい。生活風景や炭鉱の写真をさらに増やし、県外の人には地元に帰ってから軍艦島のことを伝えてもらいたい」と話している。 また、会では写真集『「軍艦島」失われた時を求めて2』(A4判、63ページ、写真約190点)を限定販売中。電話095・883・8811

長崎新聞 2004年8月18日(水)の記事より抜粋
稲佐山観光ホテルが「軍艦島周遊クルーズプラン」

 稲佐山観光ホテル(長崎市)は、西彼高島町端島(軍艦島)の周遊クルーズを実施しているやまさ海運(同市)と協力、八月から十月まで期間限定「軍艦島周遊クルーズ特別プラン」を始めた。
 今年閉山三十周年を迎えた端島を、新たな観光スポットとして情報発信しようと企画。同ホテルは「軍艦島を広く知ってもらうことが第一。特に修学旅行生が、軍艦島を学習の場として活用してもらえれば」と話す。
 プランは土、日曜だけ。長崎―野母崎の往復クルーズ料金(宿泊費含む)は、土曜一万三千六百五十円(九月から一万六千八百円)、日曜一万一千五百五十円(同一万四千七百円)。ほかに片道クルーズもある。
 予約申し込みはホームページ(http://www.inasayama.co.jp)からも可。問い合わせは同ホテル(電095・861・4151)。


長崎新聞 2004年8月20日(水)の記事より抜粋
炭鉱時代の様子紹介 長崎で軍艦島パネル写真展

 閉山三十年を迎えた西彼高島町端島(軍艦島)の炭鉱時代の様子と人々の暮らしを写真で紹介する「軍艦島パネル写真展」が、長崎市曙町の稲佐山観光ホテルで開かれている。十一月末まで。
 端島の元住民らでつくる特定非営利活動法人(NPO法人)「軍艦島を世界遺産にする会」(坂本道徳理事長)が主催。廃虚と化した端島が近年注目を集め、今年七月、端島を周遊する観光船も就航したことなどから、島の歴史を広く知ってもらおうと企画した。 鉄筋コンクリートの建物が林立する中、炭鉱で働く人たちや楽しく暮らす住民の姿を写した約百枚を展示。現在の軍艦島を再現した模型も置いている。 坂本理事長は「廃虚になった島を見てもらうだけでなく、その歴史や人々の暮らしを通し理解を深めてもらえれば」と話している。

長崎新聞 2004年11月1日
軍艦島の保存活用を 高島でシンポジウム

 かつて炭鉱の島として栄え、軍艦島の異名を持つ「端島」(西彼高島町)の保存を考え、世界遺産の登録を目指す「軍艦島シンポジウム」が31日、高島町で開かれた。
 軍艦島では1890―1974年に三菱鉱業(現三菱マテリアル)が炭鉱を経営。明治時代の軍艦に似た外観から「軍艦島」と呼ばれ、日本初の鉄筋高層アパートが建てられたことでも知られる。島は30年前に閉山してから廃虚となっているが、産業遺産として見直されつつある。
 長崎大大学院の後藤恵之輔教授(土木工学)は10月中旬に行った調査結果を報告。「度重なる台風で地盤が流出し、一部の建物はいつ壊れてもおかしくない危険な状態。行政に保存を働き掛けなくてはならない」と述べた。


長崎新聞 2005年1月2日
1市6町合併し新「長崎市」 4日誕生

 長崎市と西彼香焼、伊王島、高島、野母崎、外海、三和の六町が合併し、新県都「長崎市」が四日に誕生する。「平成の大合併」では、対馬、壱岐、五島の各市と新上五島町に次いで県内五番目。長崎市では一九七三年の三重村編入以来、三十二年ぶりの合併となる。
 人口は三万人余り増えて約四十四万八千人。面積は一・四倍の約三百三十八平方キロメートルに広がる。平成の大合併では県内初の「編入方式」を採用し、六町の法人格は合併日前日の三日付で消滅。役場跡には行政センターが設置され、窓口を中心に業務を引き継ぐ。
 新市の議員定数は、合併特例法に基づく「定数特例」を採用。現市議四十四人の身分に変更はないが、旧六町に選挙区を設けて各一人(計六人)を選出する増員選挙を行う(一月三十日告示、二月六日投開票)。
 合併に伴い失職する町議は各旧町に設置される「地域審議会」の委員として市政運営に参画。地元の声を新市のまちづくりに反映させる予定だ。
 同市は、合併後のまちづくりについて、旧町の地域資源を生かした第一次産業の振興を柱に掲げた。池島(外海町)や「軍艦島」として知られる端島(高島町)を観光資源に活用する計画も既に始まっており、低迷する長崎観光の活性化に向けた機運も高まる。

 
posted by dyg at 14:42| Comment(1) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする